仕事続かなくても人生終わりじゃない!短期離職を繰り返して良い職場に出会うまで。

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仕事が続かない自分なんてダメだ・・・

仕事が辛くて辞めたのに、すぐに辞めてしまった自分を責めて自己嫌悪に陥ったり、

就職活動をしても、「またすぐ辞めたらどうしよう・・・」

と、将来が不安になっている方はいませんか?

筆者も同じく、短期離職を繰り返して

「自分は仕事が向いていない」「なにをやっても続かないんだ・・」

と落ち込んだ日々を過ごしていました。

でもそんな悩みを持った方に伝えたいこと。

仕事が続かなくても人生終わりじゃない!

専門学校選びに失敗し、就職もうまくいかず、20代で転職回数は4回。

そんな絶望的な状況でしたが、

やりたい仕事ではなく、行きたい場所へ行く。

自分の気持ちに正直に進んでいった結果、

9年続けられた仕事と出会うことが出来ました。

もし、やりたいことが見つからない、仕事が続かないと悩んでいる方が

「同じような人がいる!こんな生き方もあるんだ」と思って読んでくれると嬉しいです。

嫌と思ったらすぐ仕事を辞めていた20代

四国のド田舎で生まれ育ちました。

高校卒業後、親の勧めもあり、県内の美容学校に進学。

ところが、まったく興味が持てず、「美容師にはなりたくないな~」と別の職種に就くことにしました。

以下、私の転職履歴になります。

1:アパレル販売員

ファッションが好きで、当時よく通っていた洋服屋さんに就職することになりました。

専門学校選びで失敗したこともあり、「ここで頑張るぞ!」と意気込んでいた私。

しかし、すぐに嫌なところに目がつくようになります。

・休みが月6~7日。土日祝は絶対休めない。

・お店の服以外着用NG。売り切れた商品もなるべく着てはダメ。

・常に口角を上げなければいけない。(休憩時間は完全に無でした・・・)

・ノルマがあるので、別のスタッフとお客さんの取り合いになる。

・先輩にすべての接客の様子を見られ、プレッシャーを感じる。

・残業代なし。タイムカード押したあとにセール準備。

こんな会社なのに、社員は誰一人愚痴も言わず、むしろ社長は神のような存在。

一人暮らしでお金もない中、社販はあるとはいえ洋服代に給料が消えていくので、

長くは続けられないな~と1年で退職。

2:医療事務

これはもう誰にも言いたくない黒歴史。(笑)

1社目のアパレル会社を辞めた後、「医療事務」に興味を持ち、職業訓練校に通っていました。

勉強は難しかったけど、仲間と励ましあい頑張って資格を取ることが出来ました。

そして病院に就職。

総合病院だったのですが、かなり忙しい雰囲気でまともに教えてもらうことができず、

新人は放置。

直接医療行為をする仕事ではありませんが、人の命を助けるプロフェッショナルが集まった現場。

完全にビビってしまい試用期間で退職。

3:県庁の臨時職員

ここでの仕事は比較的自分には合っていたなと思えました。

・正規職員さんが皆優しい

・同じ臨時職員同士も仲が良く、職場は楽しい雰囲気

・事務補佐なのでそこまでの責任はない

臨時職員は1年の契約なので、退職。

もう一度別部署で面接を受けて合計2年間働きました。

ただ、毎回面接を受けないといけないので、次からは期限のない仕事をしようと決意。

4:学校事務

専門学校の事務職を募集していたので、面白そうと思い面接へ。

一人だけの採用の予定だったのですが、私ともう一人の女性が採用されました。

しかし本来欲しかった部署にはもう一人の女性が勤務。

私は総務課に配属されることになりました。

総務課では同世代の女性が働いていたのですが、その女性がしていた仕事に私も加わり

一人で足りる仕事量を二人ですることに。

なので、とにかく暇なのです。。。

責任のある仕事は男性職員がするので、補佐的な仕事ばかりなのですが

することがなく一日の大半をマニュアルを眺めたり、頼みもしない「たのめーる」のカタログを

ぺらぺらめくったり(笑)

しかも雑談できる雰囲気ではないので、とにかく時間が過ぎるのを待つだけでした。

仕事もしないで給料もらえてラッキーと思うかもしれませんが

ただただ黙って座り続けるのは苦痛以外の何物でもありません・・・。

耐えきれず、1年経たずに退職。

やりたいことがない。残ったのは「東京に行きたい」という気持ちだけ

私は仕事ができない人間なのかもしれない。

周りの友達は「せめて3年は働かないと」という子がほとんどで、

私のように転職を繰り返す人はいませんでした。

田舎では求人も少なく、これ以上何もできない・・・。

25歳まで自分の生まれた県から出ることがなかったのもあり、

「県外に出てリセットしたい」「知らない世界に触れたい」

そしてテレビで見る「東京」への憧れは強くありました。

でも東京でなにがしたい?と聞かれたら答えられずにいました。

すでに東京に住んでいる姉にも相談しましたが、

「家はどうする?仕事は?」

「東京はお金がかかるし、そんなに甘くないよ」

と反対されました。

それでもなぜか「東京」への気持ちは捨てきれず、

このまま地元で結婚とかしたら、もう県外へ住む機会はなくなる。

後悔したくない!!!

25歳、地元の子たちは結婚していく中、私は新たなチャレンジに向かって

上京することにしました。

見るものすべてが楽しい!わくわくが止まらない

結局は姉にも助けてもらい、しばらくは一緒に住まわせてくれることになりました。

本当に感謝しています!!

貯金もほとんどない中で上京したので、行き当たりばったりでしたが

それでもなんとかなる!と、わくわくした気持ちが強かったです。

これまで山と海に囲まれて自然の中で暮らしてきたので、

高層ビルも、毎日お祭り騒ぎのような人の多さも、満員電車も刺激的で楽しかったです。

なんでもっと早く上京しなかったんだろう!!

採用になった会社で、9年続けられた理由。

決定的に「こんな仕事がしたい!!」という強い気持ちはなかったんですが

求人をみて「なんとなくこんな会社楽しいかもな~」「仕事内容が楽そう」という理由で応募。

書類審査が通り、面接は1回で採用決定。

結果、この会社が今までで一番居心地がよく、9年も続けることが出来ました。

続けられた理由としては、

・上司も同僚も皆優しい

・仕事を丁寧に教えてくれる

・メモを取る時間を取らせてくれる

・ミスをして注意はあっても怒られない

・仕事中に雑談できる

・コーヒーやお菓子も好きな時に食べられる

・昼休みは外でランチしたり、夜飲みに行ったりする仲間ができる

と、こんな感じです(笑)

「自分自身が成長できる」とか「専門的な知識が身につく」とか

そういう理由ではなく、とにかく自分が居心地よく楽しく過ごせるか。

が私のなかで重要でした。

基本、不器用なので仕事をすぐ覚えられるタイプではないのですが、

仕事を私に合ったペースで進めてくれ、メモを取る時間もしっかり与えてくれました。

慌ただしい雰囲気の職場って本当にテンパってしまい、向いていないのは分かっていたので、落ち着いた雰囲気で仕事はできるのが合っていました。

まとめ

自分に何が向いているのか。

まだ経験の浅い高校生の頃に、いきなり自分の進路を考えなければいけなくなって、とても憂鬱でした。

専門学校に入ったら、その道で頑張ろうと思ったけど、やっぱり自分がやりたくないことは本当に苦痛でしかない。

学費を出してくれた親には申し訳なくて、期待に答えられなくて辛かったです。

何もない」中で唯一「東京に行きたい」という自分の気持ちを大事にして、素直に行動したこと。

本当に行ってよかったなと思います。

就職した会社で、今の夫と出会い、結婚して子どもにも恵まれて。

自分が行動しなければ、夫にも娘にも出会うことができなかった。

私のように、自分の進路、やりたいことが分からなくて悩んでいる方へ。

とりあえず、少しでも気になったことにチャレンジしてみる。

違ったらまたやり直せばいい。

色々なことに挑戦して自分を知る。

自分の本当の気持ちに目を背けずに、

後悔しない人生を送ってほしいです。

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